私の宇野昌磨さん史<3>2011-12 番外編 疲労骨折に苦しんだ日々

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前回の「私の宇野昌磨さん史<2>2011-12」は、当時の私が感じていた「期待の大型新人デビュー!」の高揚感いっぱいでまとめたかったため、敢えて割愛した話題があります。

それは2011-12シーズン前半で彼が悩んでいた「疲労骨折」のお話

彼が疲労骨折に苦しんでいた時期があったことを知らないフィギュアスケートファンは意外と多いんじゃないでしょうか?

2012-13シーズンを振り返る前に、疲労骨折のこと&当時の経験が生きた(?)2022全日本のエピソードを合わせて振り返ります。

前回の記事はこちら

目次

2011-12シーズン 疲労骨折を抱えながらの練習

2011年の春先に宇野昌磨選手は疲労骨折していたーという情報を、私は平昌五輪後に出版された「兄、宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨」(弟の宇野樹さん著)で初めて知りました。

大切な大会を控えるシーズンに、昌磨は、足の疲労骨折の怪我を負った。
(略)
痛みは引かなかったけれど、選考会にも参加し、怪我していたからジャンプを跳ばずに演技をして、無事、ジュニアグランプリに出られることが決まった。

「兄・宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨」68~69頁より引用


当時ジュニアの地方大会も追いかけていた熱心なファンには有名な情報だったのかもしれませんが、私は疲労骨折の噂も何も全く知らないまま本を読んだので、当時ビックリしたことを覚えています。

この年はジュニアグランプリシリーズでは4位&3位と「ジュニア初年度から活躍!」という印象でしたからね…まさかそんな事情を抱えていたとは。

その後日本人トップフィギュアスケーターに疲労骨折で休養を余儀なくされる選手が複数続いたので、今となっては昌磨さんが長期休養することなしに成績を残し続けたことがいかにとんでもなかったかを思い知らされます。

当初医師の定期診察を受けながら練習を継続していた昌磨さんでしたが、練習の負担で骨折部位の炎症を悪化させてしまい、結局ドクターストップ

しかし「練習ができなくなった」ことが当時の昌磨少年のメンタルを限界まで追い詰めます。
(このあたりは書籍内に当時のエピソードが詳しく書かれていますので、関心のある方にはご一読をお勧めします)複数の病院を訪ね歩いた結果、「定期診察をしつつ、1日10分までなら練習していい」という医師に出会って練習を再開することとなります。

念のため書いておきますが、書籍の中では練習を続けたことを美談扱いにはしていません。結局完治に数か月を要したので「本来はちゃんと休んだ方が治りも早かっただろう」という客観的見解も書かれています。

ただ、当時の昌磨少年の精神状況を慮ると、「1日10分の短時間練習を慎重に継続する」という選択をしたことに本人&関係者一同悔いがないーということです。

疲労骨折経験が「短時間集中」の練習スタイルを生んだ?

今思うと、この時の「1日10分」の制限が、今の昌磨さんの「密度の濃い練習スタイル」の礎になったように思えます。樹さんの著書にはこう書かれています。

その10分間が、すさまじかった。
ふつうのスケーターの1時間分の練習量なんじゃないかと思うほど、密度が濃かった。
ジャンプは7種類あるけれど、7本のジャンプを、1分で全部跳ぶという練習を始めたのだ。

「兄・宇野昌磨 弟だけが知っている秘密の昌磨」72頁より引用

私が観戦できた数少ない現地公式練習の中で最も印象深かったものの一つが、2022年大阪全日本の男子フリー当日午前の公式練習ラスト3分間です。

当時の私の観戦記録からの抜粋です。

この日は曲かけ練習でジャンプを流す選手が多くて、見ごたえは今一つ?でした。(略)

宇野選手の曲かけに至っては、全ジャンプは踏切り確認(1回転程度)だけで、その代わりステップやコレオの部分を入念にやっていました。(ステファンから「曲かけはジャンプに集中せず、振りつけを重視した練習を」という指示があったそうな)

でもその後が超面白かった!「公式練習は、あと3分です」というアナウンスが入った後から猛烈なテンポでフリーのジャンプ全種を単発で跳び始めまして。フリップだけ一回抜けて跳び直したけどあとは全部一発必中。最後に今季試合で決められてないトリプルアクセル~トリプルフリップのコンビネーション決めて、計2分で全ジャンプ確認一気に済ませちゃった!凄いもん見たわw

2022年12月26日の鑑賞記(友人限定公開)より抜粋

「あと3分です」から、予定構成にある全てのジャンプに次々に挑む、そのペースのとんでもない早さ!

全ジャンプほぼ一発必中で仕留めるって、必殺仕事人かよ!…ってまぁ、顎外れそうになるぐらいビビりました。この時の練習は本当に尋常じゃなかったです

宇野昌磨さんは欠場の少ない選手でした。怪我を理由に欠場したのは2018全日本の後のチャレンジカップと2023さいたまワールドの後の国別対抗戦のみですよね。(どちらも前大会中に受傷)

でも、一見何事もなく出場していたように見える2011-12シーズンにこのような大きな怪我があった。一見無事に出場し続けている選手たちも、おそらくほぼ全員が怪我と付き合いながら試合に出ているわけで、ファンがあずかり知らない苦労を皆しているのだろうと思います。

昌磨さんも引退後にそんな話もどっかで教えてくれるといいんだけどな。別に本人が話したくなければ話さなくてもいいんですけどね、もうこれから新しい試合がないとなると過去の試合の色んなエピソード全部を掘りたくなっちゃうから(苦笑)。アイスショー三昧になったらそういう想いは減るかもしれませんけど。

あぁ、でも全日本のあの練習を撮影させてもらえてたら…
「何度も何度も見返す家宝の動画w」になっただろうにーと返す返すも練習撮影禁止の日本が恨めしい。

フジテレビのクルーがもしあの数分間を撮影していたのなら、動画を貴重な映像資料として公開してほしいです

ということで、2011-12シーズンの振り返りはこれにて完全終了。次回は2012-13シーズンをまたゆっくり振り返るつもりです。

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