今日はある切手をきっかけに、1960~70年代のレジェンドスケーターについて調べて「驚くべき伝説」をいくつも発見しました。
当時のフィギュアスケート競技にお詳しい方には「当時のファンには有名よ」な話ばかりかもしれませんが、私には超絶面白かったので、集めた情報をまとめてみました。
きっかけは札幌五輪の記念切手
今日は近距離在住の実家の母を訪ねてのんびりランチ。
ふと食卓の近くにあった封筒が目につきました。五輪のマークとペア演技をしているフィギュアスケート選手の切手が貼ってあったんです。
遠目に見たら一瞬スイハンに見えたんですが、「んなわけないよね~」と思い手に取ってみたら…2022北京ではなく1972札幌オリンピックの記念切手でした。
描かれているのは札幌五輪に出ていた唯一のアジア圏ペアの長沢 琴枝/長久保 裕 組でしょうか?
(後述する金メダリストペアだったかもしれませんが…)
⇒金メダリストのロドニナ/ウラノフ組だったようです。根拠は記事の最終項目に追記します<4/26追記>
順位 | 名前 | 国・地域 | CF | FS | 得点 | 席次数 |
1 | イリーナ・ロドニナ & アレクセイ・ウラノフ | ソビエト連邦 | 1 | 1 | 420.4 | 12 |
2 | リュドミラ・スミルノワ & アンドレイ・スライキン | ソビエト連邦 | 2 | 2 | 419.4 | 15 |
3 | マヌエラ・グロス & ウーベ・カゲルマン | 東ドイツ | 3 | 3 | 411.8 | 29 |
4 | アリシア・スターバック & ケニス・シェリー | アメリカ合衆国 | 4 | 4 | 406.8 | 35 |
5 | Almut LEHMANN & Herbert WIESINGER | 西ドイツ | 5 | 6 | 399.8 | 52 |
6 | Irina CHERNIEVA & Vassili BLAGOV | ソビエト連邦 | 6 | 5 | 399.1 | 52 |
7 | Melissa MILITANO & Mark MILITANO | アメリカ合衆国 | 8 | 7 | 393 | 65.5 |
8 | Annette KANSY & Axel SALZMANN | 東ドイツ | 7 | 8 | 392.6 | 68 |
9 | サンドラ・ベジック & ヴァル・ベジック | カナダ | 9 | 9 | 384.9 | 84 |
10 | Corinna HALKE & Eberhard RAUSCH | 西ドイツ | 10 | 10 | 381.1 | 87 |
11 | Grazyna KOSTRZEWINSKA & Adam BRODECKI | ポーランド | 11 | 11 | 377.8 | 95.5 |
12 | Barbara BROWN & Douglas BERNDT | アメリカ合衆国 | 12 | 13 | 366.9 | 114 |
13 | Florence CAHN & Jean-Roland RACLE | フランス | 13 | 12 | 364.5 | 116 |
14 | Linda CONNOLLY & Colin TAYLFORTH | イギリス | 14 | 14 | 360.6 | 126 |
15 | Mary PETRIE & John HUBBELL | カナダ | 15 | 15 | 358.5 | 129 |
16 | 長沢 琴枝 & 長久保 裕 | 日本 | 16 | 16 | 345.5 | 144 |
長沢琴枝&長久保裕コーチは 日本初の五輪代表ペア
本田武史さん、荒川静香さん、鈴木明子さん、本郷理華さんなど多数の名選手を指導してきたことで知られる名コーチ・長久保 裕先生。私は男子シングル出身者だと思い込んでましたが、日本初のペアの五輪代表選手だったんですね!
長久保先生は1965-66シーズンの全日本ジュニア選手権男子シングルで優勝しておられますが、その後長沢琴枝さん(三宅星南選手や島田高志郎選手を指導していたコーチ)とペアを組み、1967~71年の全日本選手権を5連覇しています。
私はリアルタイムで札幌オリンピックを知りません。のちに札幌オリンピックを振り返る番組等でもフィギュアスケート関連の映像はいつも「女子シングルのジャネット・リン選手が転倒して銅メダルに終わったけど、印象的な笑顔で大人気」という話題ばかり。
詳しい方には「え、二人がペア出身だったこと知らなかったの?」と思われるかもしれませんが、私は全然知らなかったんです。以前はリンクサイドでよくお見掛けしていたコーチのお二人が、札幌五輪の前後にはデススパイラルとかリフトとかやってらっしゃったのか!とただただビックリ。
気になってちょっと調べみてたら、パートナーだった長沢琴枝先生に長光歌子先生が「歌子の部屋」でインタビューしている記事を発見。当時のエピソードを語っておられました。
あの当時、札幌オリンピックがあったので、都築(章一郎)先生が「日本からペアを出そう」っておっしゃって、チームの中で誰彼かまわずペアを組ませたんです。それで4組か5組のペアができたんですけど、 みんな1年くらいで辞めちゃって、残ったのが私たちだけだったんですよ(笑)
上記「歌子の部屋 Vol.10」より引用
私たちはオリンピックという目標があったから頑張って行けたんだと思います。
いや~全然知らなかったです。樋口美穂子先生の現役時代のこととかは過去に調べたことはありますが(伊藤みどりさんと同じ時期に選手時代を過ごされていたこともあって興味がありまして)、コーチの戦歴まで調べる機会ってそうそうないですからね。
伝説のペアスケーター イリーナ・ロドニナさんも調べてみよう
この件でもう一つ気になったのが、札幌五輪ペアで優勝しているイリーナ・ロドニナさんです。
ソチ五輪の開会式で最終聖火ランナーを務めたのは五輪で三連覇した二人のロシアの英雄、その一人がイリーナ・ロドニナさんだったことは覚えています。
フィギュアスケートのペア競技で1972札幌五輪⇒1976インスブルック五輪⇒1980レークプラシッド五輪と五輪三連覇。世界選手権ではなんと「十連覇」をしておられる伝説のスケーターとして名前だけは知っていました。
輝かし過ぎる戦歴に笑いが止まらず
で、彼女の日本語版wikipediaを見たんですが…とんでもないんですよコレが。
五輪と世界選手権では「金メダルしか獲ったことがない」んです。
戦績表に金色の「1」が並びまくってる著名スケーターのwikipediaはちょこちょこ見かけますが、こんな戦績表見たことありません!
(ペアのパートナーは1972年を境に変わっているので、三連覇&十連覇をしたのは彼女のみです)
ちなみにさすがに全出場大会金メダルではなく、ユーロ初出場時は5位を取っています。
でもワールドとオリンピックでこんなにたくさん金メダル獲ってるフィギュアスケート選手は他にはいませんよね
試合に出ていない1978-79シーズンの謎
この輝かしい戦績表を見て気になるのは、1978-79シーズンの表が空白なことです。
「この年は一体何をしていたんだろう?休養かな、怪我かな?」と思って調べてみたら…
当時公私ともにパートナーだったザイツェフさんとのお子さんを出産していました!!!
ユーロとワールドで十連覇を遂げた翌年に出産して、その翌年に競技復帰してユーロと五輪で金メダルを獲ったの!?
す…すごすぎない?
いや~今でこそ女性アスリートが出産して競技復帰するってことは珍しくなくなってきていますけど、1970年代にそれですか!もう尊敬しかない。
彼女が三連覇を遂げたレークプラシッド五輪は、渡部絵美選手が6位入賞したこともあって日本でもフィギュアスケート競技が手厚く放送されていました。私がフィギュアスケートのTV観戦に興味を持ち始めたのもこの頃です。なのでイリーナ・ロドニナ選手の名前はうっすらとは憶えています。
当時の日本の放送でも彼女の「出産を挟んでの五輪三連覇」はかなり話題になっていたのでは?と思うのですが、全く記憶にありません。当時小学生の子供に出産後の復帰がどれだけ大変かなんてわかりっこないから、無理はないかもしれません(苦笑)。
彼女の「伝説」の数々が凄すぎる
日本語版wikiは情報が少ないので英語版wikiを検索して読んでみたら、書かれている「伝説」がとにかくすごい。文字で読んでるだけなのに「スゲー」の一語しか出てこない。
この時代にリアルタイムで彼女を観ていたら、強烈過ぎて忘れられないでしょうね。
五輪初出場前にパートナーがライバルペアの女性と恋に落ち、解散⇒組替え決定
ロドニナ/ウラノフは、銀メダリストのリュドミラ・スミルノワ/アンドレイ・スライキンを抑えて、1970年と1971年の2つの世界タイトルを獲得した。しかし、ウラノフはスミルノワと恋に落ち、1972年のオリンピックの前に、カップルは次のシーズンに一緒にスケートをすることを決意した。
イリーナ・ロドニナさんの英語版wiki より機械翻訳
ロドニナ/ウラノフは1972 年のオリンピックに出場し、金メダルを獲得した。
共に二連覇を成し遂げたパートナーが初の五輪出場前に同国のワールド銀メダリストペアの女性と恋に落ち、五輪前に解散が決まるとは…。
「ロシアのカップル競技あるある」かもしれないけど、これはなかなかハードですね。「パートナーがライバルペアの女性と婚約して、自分たちは解散だと決まっている状況」で迎えたラストシーズンで五輪金&ワールド金ですよ?いや~ドラマチック過ぎるでしょ!
1972ワールド直前に事故で負傷しながら強行出場
ロドニナ/ウラノフ組で挑んだ最後のワールドではさらに衝撃的な展開が待っていました。
その後、彼らは最後の大会である1972 年の世界選手権に向けて準備を進めた。競技開始の前日に一緒に練習していたとき、二人はエレベーターで事故に遭い、ロドニーナは脳震盪と頭蓋内血腫で入院することになった。アクシデントにもかかわらず、彼らはショートプログラムで6.0台を獲得するなど好成績を収めた。長いプログラムの中で、ロドニーナは気を失い、めまいを感じたが、4度目の世界タイトルを獲得するには十分だった。
イリーナ・ロドニナさんの英語版wiki より機械翻訳
今の時代だったら脳震盪と頭蓋内血種(!)を起こしている選手を出場させるなんて考えられない蛮行ですが、それが通った時代。
当時の視聴者や観客が怪我情報を知った上で観戦していたのかどうかはわかりませんが、もし知っていたとしたらどれほど心配し、どれほど三連覇に熱狂したでしょうか。(知っている方がおられたら話を聞いてみたい!)
当時の実況放送などが残っていないかと探してみたんですが、1972年ワールドの動画は発見できずでした。(1972オリンピックの演技は検索すれば見つかります)
前年の1971年のワールドのフリー演技は、ISU公式チャンネルで公開されていました。
上記の映像は残存しているフィルムを順につなぎ合わせ、使用曲とおぼしき音源(はげ山の一夜)を後づけしたもののようです。なのでどれだけ演技と音楽がシンクロしているのかわからないのがちょっと残念。
当時のアリーナ席?に全く壁が無かったのががなかなか衝撃でしたね。目前でフライングシットスピンとかキャメルスピンとかされたら超怖そう(苦笑)。
1973ワールドでは、音楽が途中で消えた中で演技を完遂し金メダル
1971-72シーズン終了後、ロドニナ選手は若手のザイツェフ選手と組みなおして再出発しました。
しかし1973ワールドでは、ソビエト連邦に絡む政治的問題から試合中にトラブルが発生します。
おそらく「プラハの春」の弾圧に対する報復としてチェコ人労働者が行動したため、1973年の世界選手権のショートプログラム中に彼らの音楽が止まった。激しい集中力で知られる彼らは、黙ってプログラムを終え、完走時にはスタンディングオベーションと金メダルを獲得した 。
イリーナ・ロドニナさんの英語版wiki より
この事件は、英語版wikiに紐づけられていたロシアの記事でも紹介されていて、次のように書かれていました。
特に記憶に残るのは、1973年のブラチスラヴァ世界選手権でのロドニナとザイツェフのスケートで、音楽が突然止まり、二人は黙ってプログラムを滑り、嵐のような拍手と「6.0」という記録的な高評価を獲得した。
https://www.peoples.ru/sport/fskating/rodnina/ より引用 (ロシア語を日本語に機械翻訳)
いや~これも伝説の演技じゃないですか!
ISUさん映像残ってませんかーーーー!!!
フィギュアスケートの歴史を探る旅もまた楽し
ということで、今日は切手1枚から始まったネット探索の旅が超楽しかったので、記録に残してみました。こういうフィギュアスケートの楽しみ方をしてみるのもいいですね。
残っている演技映像が少ないのはちょっとストレスですが。(ロドニナ/ザイツェフ組の演技動画はカラーで結構残っているので検索すると色々見ることは可能です)
ロドニナさんはソビエト連邦でこれだけの功績を残したので当然政治との結びつきが強くなり、引退後は政治家に転身しています。ウクライナ侵攻後は色々問題発言をしたりもしている方ではありますが、彼女の選手時代の功績はそれとは分けて考えたいと思います。
<4/26追記>
記念切手に描かれていたのは金メダリストのロドニナ/ウラノフ組だったようです
切手に描かれていたのは結局誰だったのかが今日になっても気になって、当時の報道映像&写真を探してみました。カラーのものが少なくてちょっと手間取りましたが、Afloのデータベースでカラー写真複数枚を確認できました。
- 長沢/長久保組の衣装はどちらも黒っぽい(長沢さんはワイン色がかった黒&長久保さんは黒)
- ロドニナ/ウラノフ組の衣装は赤&黒で色調やデザインが切手と似ており、二人とも髪が黒っぽい
- 銀メダリストの女性の衣装はピンク系、銅メダリストの女性の衣装はブルー系
以上のことから、描かれているのは金メダリストのロドニナ/ウラノフ組と断定してよいかなと思います
(私が見た写真の掲載には「出版・報道写真としての使用許可」が必要なので、残念ですが写真をお見せすることはできません。ご覧になりたい方は上記のAfloのデータベースで検索すれば確認できると思います)
「金メダリストのペアの男性が銀メダリストの女性と恋に落ちている」という話題は日本でもかなり報道されていたらしく、女子シングルのジャネット・リン選手ほどではなくともロドニナ組も当時はかなりメディアで報道されまくって人気が高かったようですね。
「切手に描かれているのは日本人選手?」と一瞬思ってしまうこと自体、当時の感覚からずれていたもようです(苦笑)。(でもこのイラストの女性は顔が東洋っぽく見えますよね?イラストレーターが作り上げた架空の人物ってこともありえたりするんでしょうか…?)