私の宇野昌磨さん史<1>2005~2011 「噂の天才少年」時代~初めてフルで演技映像を見るまで

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宇野昌磨さん引退報道も落ち着いてきました。
ぼちぼち私がいつ頃からどのように宇野昌磨さんの演技にはまっていったのか、私の宇野昌磨さん史を振り返っていこうと思います。

私が過去に友人限定公開で書いていた試合観戦記には度々昌磨さんが登場します。時には当時の感想を紐解きながら、1シーズンごとに振り返っていければなと。「昔からちょっとずつ振り返っていく」つもりなので、今年のGPSが始まるまでに書き終われたらいいかな?ぐらいのつもりです。

長年の想い出を一気に振り返ってしまうのも寂しいような、もったいないような気がしまして…

応援熱が上がったここ数年ぶんは、一試合ごと振り返るかもしれません(苦笑)

ただし、1シーズンごと振り返るのはジュニア最終年の2014~15シーズンから。

それまでの間は「噂を追いかけていただけの時期(2005~2011)「毎年全日本で演技を観るのを楽しみにしていた時期(2011~2014)の2回に分けようかなと思います。

「あの頃」を一緒に思い出してみたい方はどうぞお付合いください。

目次

2005~2009ごろ「噂の天才少年」時代

宇野昌磨さんの競技会デビュー

宇野昌磨さんの競技会歴は、Wikipedia上では2005年11月の愛知県フィギュアスケート競技会から記載されています。ただ、日本スケート連盟の公式サイトを調べるとそれより前、2005年3月の第41回中部日本フィギュアスケート選手権大会(中日カップ)に出場していることが確認できます。参加者名簿の2級のところに名前が

その頃の写真は下記の記事に掲載されています。
ちなみにこの写真はフリー「Chicago」の時だそうです。

しかし、日本スケート連盟のサイトではこの大会の公式記録は掲載されていません。順位も点数も不明なのでwikipediaに記載されていないのでしょうね。2004年以前は愛知県内競技会記録の掲載がないので、ひょっとして初競技会は2004年以前かもしれません。

彼はこの翌年にはノービスの大会に特別出場、2007年からノービス4連覇を果たします。
(過去にノービス4連覇を果たしたのは小塚崇彦さん、浅田真央さん、宇野昌磨さん、佐藤駿選手の4名のみ)

この頃は「名古屋にいる噂の天才少年」

私はノービスはおろかジュニアの試合すらろくに見ていなかったので、ノービス時代の昌磨さんの演技は当然リアルタイムでは見ていません。

この頃はトリノ五輪(2006年)で荒川静香さんが日本勢唯一の金メダルを獲得。その前後に安藤美姫さんや浅田舞・真央姉妹、高橋大輔さんや織田信成さんらが現れたこともあって、日本にフィギュアスケートブームが高まった時期。

当時はネット上にはフィギュアスケートファンが多数集う場所(ニコニコ動画や2ちゃんねるスケート板等)がいくつもあって、私も熱心に情報収集をしていました。

昌磨さんのことを初めて知ったのはそこでの噂話です。名古屋の山田満知子コーチのところにめちゃくちゃ上手い男の子がいる」と度々話題になっていました

たぶん噂を知ったのはノービス2連覇したころぐらいじゃなかったかなぁ?その頃既に2008年3月にコペンハーゲンの国際大会にも出場してるぐらいでしたから。

ノービス時代の試合演技を見たのはシニアデビュー後

私が昌磨さんのノービス時代の試合演技を初めて見たのは、応援熱が上がったシニアデビュー後です。

2007年中部フィギュアスケート選手権の演技など、ノービス時代で映像が出回っているものは何度も繰り返し見たので、その頃からつぶさに知っていたかのような錯覚を起こしています(苦笑)。

平昌&北京五輪やワールド等でどっぷりはまった人の中にも、似たような人は多いのでは(笑)

当時リアルに彼の演技を見ていたのは地元の同世代選手やその保護者、ノービスの試合もチェックしている濃いファンぐらいかと思いますが、あの可愛い過ぎる演技をナマで見られたのはうらやましいですね。

2006年全日本ノービスに1年早く出場させてもらえて4位入賞した時の表彰式の写真なんて、いつ見ても微笑んでしまいます。この時の映像が残っていたらめちゃくちゃ見たいんだけどなぁ…

以前も紹介した下記の写真特集記事の1ページ目に当時の写真が載っています

昌磨さんはギリギリ旧採点世代!?

私が映像でフル視聴した最も古い演技(2007年中部フィギュアスケート選手権)は旧採点で採点されており、初見の際に「昌磨さんはギリギリ旧採点世代だったのか!?」と驚いたのを覚えてます。

ちなみに新採点導入は2004年。2004~2005シーズン以降の国内大会は全て新採点で行われていますが、地方競技会ではまだ旧採点だったんですかね。新採点対応できるジャッジの養成が追いつかなかったのかな?

2007年中部フィギュアスケート選手権フリーの採点結果

ノービス時代の演技は本人めちゃくちゃ可愛らしいのに足元が子ども離れしているという、わけのわからない状態

この時の振り付けは満知子先生だったのか美穂子先生だったのかは知りませんが、私は腰に両手をあててジャッジ側を振り返る振付けがたまらなく好きです。その後も何度かやってますが、振り返る瞬間の破壊力は抜群ですわ。

あれを今の昌磨さんがやったらどう見えるのかかなり興味があるんですが、本人は全力拒否するだろうな(苦笑)。

昌磨さん現役前期の演技映像集「未完~Believe」に収録されているシニア移行前のプロは「ツィガーヌ」「クロイツェル」「ドンファン」のみで、ノービス時代の演技は収録されていません。

将来現役時代の演技集を改めて出すことがあったらノービス時代の映像も入れてもらえたら嬉しいなぁ。エキシビションも是非。…って公式映像集、欲しいものだらけだわw

2009~10年ごろ 演技映像をほぼリアルタイムで初めて見る

名前と顔が初めて一致したのは2009年

初めて名前と顔が一致するようになったのは2009年11月の全日本ジュニア選手権です。13~19歳対象のジュニア大会に小学生ながら出場が特別許可され、いきなり3位に入ったあの大会。

ダイジェストでしたが、彼が演技する映像を初めて観たのはこの大会直後だったと思います。

ただ、当時スケオタ界隈では「満知子門下でルッツのエッジエラーが重度だから大成しないよ」と囁かれていました。実際浅田真央さんがルッツのエッジエラー対策に苦慮している時期でしたので、「せっかくうまいのに勿体ないな。あまり期待しすぎないようにしよう」と思った記憶があります。

しかし「出る杭は打たれる」とはまさにこのこと。スケオタ界隈で有名になってからは、まだ子どもだというのに本人&親御さんについて好き放題書き散らす人をかなり見かけました。当時は彼が極小未熟児で生まれたことが知られていなかったこともありますが、身長について親切心を逸脱したお節介をする人にはうんざりでしたね。

小さい頃から「天才少年」と注目されてきたことの弊害は相当あったと思います。

あんな環境で育ってよくあんな立派に…とおばちゃんは感慨深いです。

2010年頃 初めてフルで演技を見る

彼の演技映像を初めてフルで観たのがいつだったかのか、記憶ははっきりしません。

タキシードを着ていた記憶はあるので、プログラムはおそらく「Fly me to the moon / 聖者の行進」。THE ICEだったのか、全日本後のメダリスト・オン・アイスだったのかは定かではないですが、とにかくこのプログラムで初めて、通しで「注目のしょうま君」の演技を観たのを覚えています。

「Fly me to the moon / 聖者の行進」は、前半のクラシックジャズナンバーの時はタキシード姿、後半のマイケル・ジャクソン(幼少期)の「聖者の行進」に合わせて華やかなシャツに早着替え。少年期の可愛らしさを最大限に活用したプログラムです。

何度も披露しているので、いくつも見くらべると彼の成長具合も楽しめるお得エキシプロ。あぁこれも公式映像が欲しい…

見た目は全身キュートの塊。でも滑り出した足元は大ベテランw 「子どもの体に無理くり大人が入って滑ってるみたいw」と思いました。なんじゃこの子は!って感じでしたね。

バンクーバー五輪世代が様々な番組やイベントに出ていたこの時代。「注目ちびっ子スケーターしょうま君」はあちこちに呼ばれていました。

プルシェンコ選手に楽屋?で高い高いされてたり(中学生だったのに…)、先輩たちと一緒のチーム戦に出て高橋大輔さんの演技についてコメントを求められて的確過ぎるコメントを言って笑いを取ったり…あぁあの頃に戻ってちびっ子しょうま君の成長をもう一度リアルタイムで追いかけたいなぁ。

そんな昌磨さんも、ジュニアに進んでからはトリプルアクセルの習得にしばし苦労することになるのですが、それからの話はまた改めて書きたいと思います。

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